2013/06/21

誰もいない方向へ歩く

自分が持っている時間って、限りがあるじゃないですか。
今回の震災があろうとなかろうと、ぼくの基本のところには、研究者としての自分がいるんですけど、研究者って、自分が持っている時間と、自分が持っているリソースを何に使えばいちばん人と違うことができるか、というふうな考え方をするんですね。
つまり、いかに人と違うことをやって成果が出せるかというのが非常に重要なポイントで。
逆にいうと、人と同じことをやってたら研究者って存在意義がないんです。
1000人が研究しているものについて、1001番目として研究しても、あまり意味がない。
だから、まだ人がやってなくて、そのなかで、自分が持っている力がもっとも活きることは何か、というふうに考えて、そこへ向かっていく。
それが普段研究をやっているときでも、いちばん重要な心構えだと思っているんですね。

つまり、人のいない方向に向かって歩くんですよ。
だから、落っこちることだってあるかもしれない。
無事にたどり着いたら、たいして意味がなかった、ということだってあるかもしれない。
でも、なるべくハズレがないように、誰もいない方向に向かって一歩一歩、歩く。
そういうことを常に心掛けているはずなんですよ、我々、研究者っていうのは。
震災以後、ぼくがやったことも、基本的には同じです。
「これはたぶん、いまぼくがやらなかったら 誰もやらないだろうな」と思うことをやってきた。
そこに、自分の時間や、力や、リソースを費やしてきたんじゃないかと思います。
だから、もちろん、いろんな論議は目に入りますし、誤解や無理解や誹謗中傷にコンチキショーと思うこともあるけれども。
だけど、そこで場外乱闘するのは、自分の時間の使い方としては、まったく愚かなことだと思っていたので。
そこには加わらずに、やってきました。

「早野龍五さんが照らしてくれた地図」より

 


2013/06/20

「次」は、あなたにはありません

泣き言も文句も言いました。
でも、逃げたことはありません。
だって、逃げたら、後が無い。
たかが仕事でしょう。
あなたがそれをしなくても、結局、私がやらなきゃなりません。
できません、とバンザイしちゃえば勝ちです。
その場限りでは。
でも、誰もあなたに「次」を任せようとはしません。
ただ、それだけでしょう。
あなたが逃げ出したその後に。
文句と泣き言をこぼしながら、私が拭き掃除をしています。

「すらすら日記Vol.2」より








2013/06/10

こんな経済ジャーナリズムはいらない

金曜夜、某経済誌の社内勉強会にて「こんな経済ジャーナリズムはいらない」というタイトルで講演をした。私は言うまでもなくメディアの専門家ではなく、経済メディアの一消費者に過ぎないのだが、いつも考えていることをまとめてお話したので、備忘録代わりに。
ちなみに、私は紙メディアのヘビーユーザー。現在、紙で購読している媒体は、日経、Financial Times、英Economist、米 New Yorker、文藝春秋、Facta、Foreign Affairs(季刊)。全部ちゃんと読めているわけではないが、パラパラ目は通すようにしている。

Financial Times の読み方
著名なコラムニストによる寄稿である Op-Ed 欄を真っ先に開く。Martin Wolf (経済論説主幹)、David Pilling(アジア総局長)、Gillian Tett などの名物記者が顔写真入りで書いている。Larry Summers元米財務長官や著名大学教授なども頻繁に登場。その前のAnalysisページは15段ぶち抜きで、一つのテーマに関する分析記事。最近では時間がない読者に配慮して "Speed Read" という記事要旨がついている。
最後のLex Column は毎日3つの企業やトピックについて切れ味鋭い分析を載せている。あとはマーケット欄への現役投資家による寄稿記事も、例えばピムコの Bill Gross やモハメド・エラリアンなどが書いていると読んじゃいますよね。
いずれにせよ、ここで求めているのは何かが起こったという「ファクツ」ではなく、分析、世の中を眺める「切り口」であることが分かる。世界で起きている出来事を、どのように理解すればよいのか。あとは、長い特集記事であれば「舞台裏で何が起こっていたのか?」という徹底的な調査報道。これは日刊の新聞よりも、New Yorker などの週刊誌の方が向いているかも知れないが。
そして、上記はいずれもが署名記事なので、「誰が書いたのか?」を念頭に置いて読んでいる。ずっと読んでいると、書き手の個性やバイアスも分かってくるので、それらをひっくるめて、「オピニオン」として読むわけだ。
(もちろん、FTは発行部数が圧倒的に少ないプレミアムメディアであり、かつ親会社はピアソンという教育系企業なので、色々とやる余裕があるのかもしれないが)

日経新聞の読み方
少し前から始まった2面の「迫真」「真相深層」は楽しく読んでいる。以前であれば、日経金融新聞の裏面にあった「M&A交渉の舞台裏」といった記事が好きだった。実際に現場では何が起こっていたのか、人間模様やドラマが知りたい。
あとは編集委員や論説委員による長めの署名入りコラム。同じ記者の記事を読み続けることで、文脈も分かった上で読める。
経済教室、大機小機。「私の課長時代」みたいな人物ものも好き。交遊抄。私の履歴書も面白いのでしょうが、きちんと読んだことがない。あまりに年上の方ばかりなので。書籍広告を眺めると世の流行りが少しだけ見えてくる。日曜の書評や、見開きの絵画記事なども。
本誌裏面の文化コーナーは、時折、大ホームラン記事がある。昨年7月の「田中宏和だよ全員集合」は秀逸だった。日経新聞を読みながら文字通り笑い転げたのはこれが初めてだったと思う。あとは少し前だが、「中村屋!」など歌舞伎の屋号を叫ぶ「大向こう」さんになってしまった英国人ロナルド・カヴァイエ氏の記事「アイ・アム・大向こうさん」。今でも忘れない記事というのはなかなかないので、特筆すべきだ。

日本の新聞を読んでいて違和感を感じること
企業面にある無数の短文記事は、企業のプレスリリースそのまま。載せる必要があるのだろうか。企業から広告をもらうためにやむをえないのだろうか。
あとは、役所や企業のリーク記事。「~であることが明らかになった」って、どう考えてもリークじゃないですか。しかも、報告書を発表する前日に出してみたり、M&Aを発表する日の朝刊に書いてみたり。人事スクープもそうですよね。社長人事をつかんで少し前にリークしてみたところで、何かメディア的な価値があるのだろうか。いつも不思議に思う。
また、FTを読んでいると記者の生産性に驚く。ほとんど毎日か数日置きで、長文骨太コラムを書きつづっている。日本の記者は長文記事を連日書かされるようなことはないのではないか。ゆったりと取材をしているイメージがある。

経済誌もデジタルメディアに資本参加せよ
久しぶりに日経ビジネスやダイヤモンド、東洋経済などを手に取ってみると、特集記事はよく取材されていて面白いものが少なくない。ただ、わざわざ駅のキオスクに立ち止まって買うのが面倒なんですよね。ソーシャルメディア上でシェアされている記事をウェブで読むくらい。すると今後のチャレンジは、いかにいい記事を書くかということに加えて、いかにシェアされる記事を書くかということと、自分たちもウェブ上でどのように読者に記事を積極的に届けて行くか、ということになろうか。各媒体とも自社メールマガジンを持っているが、これも毎朝面白い記事・面白くない記事が混じっているので、あまり読む気がせず、いつも削除してしまう。
毎朝、日経とダイヤと東洋経済からのメールを開くのは面倒で、むしろ Gunosyで選んでもらう方が楽だったりする。だとしたら、経済誌もこういったナビゲーションやキュレーションを行うデジタルメディアに資本参加をしたり協業したりして、どのように記事が読者に届くか、肌で感じられるような取り組みをするべきではないか?

まとめ
経済メディアに求められているのは単なるファクツの報道ではなく、その分析であったり、あとは何が起こったのか、舞台裏の事実を掘り下げた調査報道。そして、今後のメディアのあり方としては、いかにいい記事を書くかだけでなく、どのようにしてソーシャルなどを通じてそれを読者に届けて行くか、自社メルマガを超えた流通戦略が必要となってくる。

「岩瀬大輔 生命保険立ち上げ日誌」より