なにもないねこ 別役実
みみがひとつしかないねこがおりました。そのかわりそのねこには、めがみっつありましたから、だれにもわらわれずにすみました。
めのひとつしかないねこも、おりました。そのかわりそのねこには、しっぽがにほん、ついていました。
はなのあながひとつで、くちがふたつあるねこも、おりましたし、おへそがなくて、あしがごほんあるねこも、おりました。
そしてそこに、なにもないねこも、おりました。なにもないねこには、めもみみも、はなも、くちも、あたまも、どうたいも、あしも、しっぽも、なにもないうえに、そのかわりにもなにもなかったので、だれもそこに、そんなねこがいるなんて、しりませんでした。
そのなにもないねこをうんだおかあさんねこも、うんだとおもったところがなにもないので、うまなかったのだとおもってわすれてしまいました。
「うまなかったのかい?」
「だって、なにもないんですもの」
そういって、おかあさんねこは、おさかなのほねをさがしにいってしまったのです。
ですから、なにもないねこはいつも、ひとりぼっちでした。ときどき、やねのうえから、あおいそらと、しろいくもをみあげて、ほっと、ためいきをつきます。
《ああ、せめてひげだけでも、あったらなぁ》
「おい、いま、やねのうえのほうから、ためいきがきこえてこなかったかい」
しっぽのないかわりに、みみのみっつあるねこがいいました。
「なあに、はるかぜさ。はるかぜが、やねのうえから、おりてきたんだよ」
あしがさんぼんしかないかわりに、くちがふたつもあるねこが、ふたつのくちをかわりばんこにうごかしながら、いいました。
しかし、しばらくたつと、どうもそのまちにはなにもないねこがいるらしいといううわさがひろまり、とうとうあるひ、とおいまちのはくぶつかんのかんちょうさんが、おおきなほちゅうあみをもって、やってきました。
「みなさん、こんにちは。このまちには、なにもないねこがいるときいて、やってきました」
「うわさですよ。だれもみたものはいないのです」
「よろしい、わたしがつかまえてあげます」
そういって、かんちょうさんは、なにもないねこのいそうなところをねらって、おおきなほちゅうあみを、ぶるるん、とふるいました。もちろんそこにはなにもないねこもなにもいなかったので、いきおいあまったかんちょうさんが、どしんとしりもちをついただけでした。
はくぶつかんのかんちょうさんは、そのひ、まちじゅうでさんじゅうろっかいもほちゅうあみをふるい、かだんのはなをめちゃめちゃにしたり、きょうかいのまどがらすをこわしたり、うまのおしりをひっぱたいたりして、ひのくれるころ、ようやくあきらめてかえってゆきました。
《へたくそ》
なにもないねこは、かんちょうさんを、まちはずれまでみおくって、そうつぶやきました。じつは、そのなにもないねこは、かんちょうさんにつかまえてもらおうとおもって、なんどもちかづいたのですが、そのたびにかんちょうさんは、やりそこなってしまったのです。
ふたたび、なにもないねこは、まちのひとびとからわすれられ、ひとりぼっちになってしまいました。
よるのやねのうえで、みかづきさまをみながらなみだをこぼすと、なみだだけがひとつぶ、きせきのようにこぼれて、やねのうえにちいさなしみをつくります。でも、それもまたすぐ、だれにもみられないうちにかわいて、きえてしまうのです。
《いったい、いつになったら、まちのひとたちは、わたしがいることにきづいてくれるのだろう。ほめてくれたり、かわいがったりしてくれなくてもいい、せめて、いることにきづいてくれればいいのになあ・・・・・・》
そのうちに、なにもないねこも、としをとりました。としをとったねこは、じぶんでおはかをつくらなくてはなりません。なにもないねこも、まちはずれのおかのうえに、ちいさなおはかをつくりました。
いよいよさいごのよる、なにもないねこは、いつものようにやねのうえにあがりました。さいごにおつきさまをみて、それからしにたかったのです。
でも、そのよるはくもがひくくたれこめて、おつきさまはなかなかかおをだしません。ねこはまちました。ながいあいだ、くるしいのをがまんしていっしょうけんめいまちました。よあけちかくなって、とうとうぽつぽつとあめまでふってきて、ようやくねこもあきらめました。
「ねえ、これはなにかしら」
よくあさ、めをさましたおんなのこが、かだんをゆびさして、おおごえをあげました。かだんのまんなかに、ちょうどねこのかたちに、あめでぬれていないところがあったのです。
「きっと、なにもないねこさ。なにもないねこが、ゆうべここでしんだんだよ」
まちのひとたちは、そこに、なにもないねこのためのちいさなおはかをつくってあげました。