2011/09/19

110919 ツキサップ


OUT □+5□△△△-△△ 50(15)
IN △×△△□△-△□ 48(18)=98(33)

久々にしかもツキサップで100を切ることができた。パットがまずまずだったのとバンカーに3回入れたがいずれも1回で脱出できたのが大きかった。特に18番はあれだけ気をつけたにもかかわらず3打目の9Iをバンカーに入れてしまい、一瞬「またか」と覚悟したが何とか大けがにはならずに済んだ。
ティーショットは最初2Uを使った。朝イチは真っすぐ飛んだが、次から右に出たり引っ掛けそうだったので、途中から1Wにしたところ、わりと良かった。的が大きい分、ダフりの心配がないのでやはり1Wの方がいいかもしれない。ドラコンが懸った12番は今季最高の1Wだったが、専務に5y負けてしまった。
アプはほとんどSW。やや右に出るのが多かったが距離感はまずまずだった。ただ60度とAWを含めてざっくりが3、4回はあった。 100~120yのAW~9Iが全部だめで、この距離から一度も乗らなかった。2番では危うく2回連続OBを打つところだった。
パターはこの日もピンを使用。オーバーが多かったような気がする。16番パー3では10歩くらいの下りのフックラインが奇跡的に入った。これも強めでカップに入らなかったらグリーンオーバーしていたと思う。
このほかSWでのチップインもあり、ラッキーが多かった。ダボは仕方ないとしてもやはりビッグイニングを作ってはいけない。

2011/09/16

信用されないメディア


日経ビジネスオンライン9月16日付
「小田島隆のア・ピース・オブ・警句」より

新聞は、簡単に信用してもらえないメディアになっている。
新聞のせいなのか、読者のせいなのか。それとも時代や社会の変化がそうさせているのか。理由は簡単には特定できないが、とにかく、新聞は裏読みをされる。そういうメディアになってしまっている。
ほんの10年前まで、新聞は、文字通り社会の木鐸だった。
日本に住んでいるほぼ全世帯の日本人が、何らかの新聞を定期購読していたし、そうやって宅配されてくる新聞は、ほとんどすべの国民に信頼されていた。
20世紀の新聞が現在の新聞よりも優れていたと言いたいのではない。
あの時代は、新聞をはじめとするマスコミの役割が今よりもずっと大きかったということを私は言おうとしている。
昭和の時代にはインターネットも無かったし、携帯電話もSNSも無かった。ということは、マスメディアを相対化する情報源がそもそも存在すらしていなかったわけで、それゆえ、新聞とテレビのプレゼンスは、現在とは比べ物にならないほど巨大だったのである。
であるから、昭和の庶民は、「テレビでCMを打っている会社は信用して大丈夫だ」と考えていたし、「新聞が書くことは基本的には本当のことだ」というふうに思い込んでもいた。
実際にも、昭和の時代にテレビでCMを打っている企業は、信頼のおける一流企業に限られていた。現在とは大違いだ。
新聞広告についても同様だ。かつて、クオリティーペーパーに広告を載せている企業の商品は、ほぼそのまま信用することができた。現在は、そういうわけにはいかない。ある程度疑ってかからないとひどい目に遭う。
で、その巨大な信頼に対応する形で、マスメディアの側にも、一定の緊張感があった。読者および視聴者は、自分たちの配信する記事をほぼ鵜呑みにしている。そのことを踏まえた上で報道せねばならない、と、だから、昭和の記者は、現在の記者さんたちと比べてより慎重だったかもしれない。まあ、現在の時点で、それら二つを並べて見比べてみるわけにもいかない以上、本当のところはわからないが、とにかく、現在の新聞に比べて、昭和の新聞がより信頼されていたことはたしかだったのである。内実はどうあれ。
新聞に対する信頼は、料金を支払って購読しているところから生じていた可能性もある。
普通に考えれば順序は逆だ。人はある商品を信頼するからこそ、その商品に対して対価を支払う、と、そう考えるのが自然だ。
が、実際には、必ずしもそうではない。
人は、自分が代金を支払っているということを理由にその媒体を信頼していたりする。
新聞の場合はおそらくそうだったはずだ。
新聞の経営基盤を支えていたのも、そうした「信頼」と「定期購読」という巨大な安定収入だった。
それゆえ、新聞社は、世界各地に支局を置き、特派員を養い、部門別に専門の記者を育て、情報の裏取りに許す限りの時間と費用をかけて、記事の信頼性を担保してきた。
それが、インターネットが普及して、無料で読めるウェブ上のニュースメディアが充実すると、若い世代は新聞にカネを払わなくなる。紙の新聞なんて、無くても間に合うじゃないか、と、彼らはモロにそう考えている。
と、毎日タダで新聞を読んでいる彼らは、いつしか記事に対して昭和の人間が抱いていた「天然の敬意」を喪失する。
それどころか、「情報は疑ってかかるのがリテラシーだぞ」ぐらいな一種ひねくれた感覚が、ウェブにぶらさがっている人間たちのデフォルト設定になってしまっている。彼らは、マトモに書かれた記事をマトモに読もうとしない。やたらと裏読みをしたがる。素直に読むよりは、裏を読む方が高度な読み方なのだと、彼らは半ば本気でそう考えている。のみならず、書かれていることより、書かれなかった部分に真実が宿っていると考えていたりする。ゴルゴ13に出てくるモサドの工作員みたいに。
たしかに、記事によっては、行間に真実が隠されている場合もあるのだろうし、ある種の芸能情報や国際関係の報道では、書かれた事実よりも、オミットされた情報により致命的な真実が宿っているものなのかもしれない。
とはいえ、世界中がゴルゴ13の論理で動いているわけではない。
大部分の世界は、真面目な記者が真面目に書いた記事に最も近い形をしている(はずだ)。少なくとも、私はそう考えている。
昭和の時代でもたとえば、ジャニーズ関連の記事には裏読みが必要だった。
「マッチと××の◯◯って、あれ実質的には△△だよな」
と、われわれは、顔を合わせると、芸能記事の裏読みを競ったものだった。
それが、現代の読者は、あらゆる記事を裏から読もうとする。どうかしていると思う。
私のような旧世代の人間から見ると、マスメディアや記者クラブの悪口を並べてさえいればツイッターや2ちゃんねるで人気者になれる現在の状況は、昭和の時代とは逆の意味で病んでいる。
無論、マスメディアに腐敗が無いわけではないし、記者クラブにだって言われているような特有の弊害があるはずだ。とはいえ、長年積み上げてきた彼らのやり方にはそれなりの実効性がある。でなくても、これだけの情報資産を全否定して良いはずがない。
マスメディアの情報が鵜呑みにされすぎて来た20世紀の反動だとは思うのだが、それにしても、この数年、あまりにも陰謀史観が幅をきかせすぎている。フジテレビの「韓流推し」問題にしてもそうだし、今回の「鉢呂発言」に対する分析でも同様だ。メディアの報道に、行き過ぎや偏向を見出すところまでは理解できるとして、それをただちに「陰謀」だと決めつける態度は、やはりどうかしている。
ウェブ上の新聞記事を有料化する動きは、徐々にではあるが、確実に進んでいる。
で、その動きに伴って、新聞各社は、無料配信の記事の中味を少しずつ薄っぺらにしてきている。5年前と比べてみれば明らかだ。新聞社が提供している無料サイトは、もはや新聞のタダ読みを許すページではなくなっている。検索エンジンの会社やポータルサイトにニュースを売る場合を除けば、あとは、有料ウェブ版への導入路にしたいという意図がはっきりしている。
結果、学芸欄の記事や、有名人のインタビューや、よりきめの細かいニュースネタや、過去記事の検索といった魅力的なコンテンツは、有料化版に引き上げられつつある。まあ、彼らだって商売なのだから当然といえば当然ではある。
現在は、過渡期にあるということなのだろう。
紙の新聞がかつて担っていた「社会の木鐸」(あるいはメタ情報)の座は、「空位」になっている。
といって、電子版への移行は、遅々として進んでいない。
で、われわれの前には、ツイッター発のデマと、2ちゃんねるに蝟集する排外的なレイシズムと、メールを装った無数の詐欺広告が横たわっているわけだ。
今後、既存の新聞社なり新たな情報メディアなりが、確固たる木鐸の地位を築く(そんな時代は永遠に来ないのかもしれないが)までの間、混乱は続くだろう。
と、疑ってかかることがリテラシーだとする卑しい人間観がわれわれを毒していくことになるのだろう。
今回は、オチが見つからない。
うんざりするところから始めたので、うんざりして終わりにしたいと思う。
来週は明るい話題が見つかると良いな(笑)。

2011/09/12

110911 北広島東


OUT △××-□△△□+4 53(21)
IN ×△□△△△-□□ 49(18)=102(39)

特に何かが悪かったわけではなく、全体的に技術不足ということだった。伸びたラフが湿っていてきつかった。9番の+4は残り30y程度のラフから第5打のSWがグリーンを大オーバー。次で何とかエッジまで寄せられたが3パットした。今回はSWを多用したが距離感がほとんど合わなかった。
第1打はすべてU2かU4。右には行かなかったが引っ掛けが何回かあった。ただ、第2打を出すだけというのはなかったと思う。最大のテーマだったバンカーには2回入れてしまった。ともに1打で脱出はできたが。
パターはピン。2~3mが何度か入ったがOK2パットは少なかった。
課題はやはりしっかりとボギーオンすること。毎度のことだが第1打と100y以内のアプローチだろう。

2011/09/04

日本人は戦争を選んだ


●1930年代の日本と現代のアメリカには共通点がある
●膨大な戦死者が出たとき国家は新たな『憲法』を必要とする
●戦争とは相手国の憲法を書き換えるもの
●歴史は教訓を与え、それが人類に災厄をもたらすことも
●アメリカの歴史の誤用=『中国喪失』のトラウマがベトナム戦争の泥沼化を導いた
●主権線=主権の及ぶ国土の範囲、利益線=国土の存亡に関わる外国の状態
●「民党は新たな領土(植民地)の官僚ポストを取れ」(福沢諭吉)
●戦争で得たものを外交の失敗で奪われた。もう政府に勝手なことはさせない→普通選挙運動へ
●日露戦争の犠牲者数、日本=戦死者8万4千人、戦傷者14万3千人、ロシア=戦死者5万人、戦傷者22万人
●満州事変の根っこには日露戦争の記憶を巡る日中間の戦いがあった
●欧米に向けて語る戦争正当化の論理と日本にとっての本当に重要なものとはずれていた
●「門戸開放」が戦争のプロパガンダになる
●戦争のための増税で有権者が戦前の2倍になり政治家の質も変わった
●第一次世界大戦の犠牲者数 世界全体=戦死者1千万人、戦傷者2千万人、日本=戦死傷者1250人
●日本は安全保障上の利益を第一目的として植民地を獲得した
●帝国国防方針の仮想敵国、1907年=ロシア、1918年=ロシア、アメリカ、中国、1923年=アメリカ
●第一次世界大戦の始まりからイギリス、アメリカへの反感が芽生えていた
●満州事変2カ月前のアンケート「武力行使は正当か」東大生88%が「然り」
●清朝とロシア帝国の崩壊→日露戦争で締結された条約に関する日中の解釈の違いが浮き彫りに
●満蒙への投資のうち85%が国絡み→健全な批判が起きにくかった
●連盟規約16条=連盟が解決に努めているとき新たな戦争に訴えた国はすべての連盟国の敵とみなす
●「農山漁村の疲弊の救済は最も重要」(陸軍パンフレット)
●アメリカとの戦争開始で天皇を説得する際、大坂冬の陣を教訓として使った
●アメリカが日本の南進に報復したのはドイツ戦で苦しいソ連を力づけるためだった
●ドイツは共産主義を倒すため合理的な中国との取引を捨てて日本を選んだ
●戦死者の9割が最後の1年半に死亡した
●終戦時、満州にいた日本人200万人、そのうちソ連侵攻後の死者数24万5千人
●満州移民で自治体に補助金、首長が村民を積極的に勧誘

確かに「戦争」を「原発」と読み替えてもほとんど通じてしまう。