2012/11/19

「本当のこと」を伝えない日本の新聞


アメリカ人にとって、ジャーナリズムは「番犬、権力の監視者」であるべきという強い共通認識がある。権力をじっと監視し、ひとたび不正を見つければ、ペンを武器に噛み付く。
なぜ日本のビジネスマンが、日本経済新聞をクオリティペーパーとして信頼するのか私には理解しがたい。同じ経済紙でも、英国のフィナンシャルタイムズやアメリカのウォールストリートジャーナルは報道姿勢がまったく異なる。これらのクオリティペーパーの記者は、企業のプレスリリースにさほど興味を持たない。1日や2日、他社よりも早くプレスリリースをもらえたからといって、たいした価値などないからだ。
取材相手と仲良くなることと、信頼を得ることはまったく違う。記者だって人間だ。相手のインナーサークルに入ってしまえば、精神的にずっと楽になる。その魔力に抗うことが、読者の信頼を獲得し、ひいては社会を良くする記事を生み出すことにつながると私は信じている。
私は取材対象者とオフレコの約束をしたならば、それを守るべきだと思っている。役人や政治家、企業役員と記者がオフレコ懇談会をもつことには、大きな意味がある。取材対象者の腹の中を探るためにも、オフレコ懇談会は重要だ。その場で重大な情報が明らかにされたときには、オフレコ懇談会ではなく別の取材ルートから糸口を探ればいい。老練な官僚や政治家たちは、オフレコでの発言が形を変えて報道されることを前提に話をするものだ。
読者が本当に知りたいのは「記者の肉声」。

マーティン・ファクラー『本当のことを伝えない日本の新聞』より











2012/11/16

サバイバルゲーム

民主党からの離党者が相次いでいる。
これを裏切り者となじり、保身はよくない、という批判が出ている。
間違いだ。
保身のためなら、絶対に離党してはいけない。
今、離党するのは、自殺行為だ。
この一回の選挙に万が一勝っても、政治生命を絶たれる。
年収千数百万円をあと1、2年、維持することだけが目的なら、それも良いだろうが、一生、政治はできなくなる。
政治というのは、仲間と行うものだ。自分がリーダーになったときに、すべてを捨てて心中してくれる仲間が何人いるか。それにかかっている。
党という枠組みは、それをフォーマルにしたものだ。
自民党が民主党よりもましなのは、派閥という、実利をかねた共同体が存在したからだ。
だから、派閥を否定する自民党議員はリーダーにはなれない。
政策などはどうでもいい。
なぜなら、適切な政策は、環境によって変わりうる。そのたびごとに選挙をやるわけにも行かないし、組織を変えるわけにも行かない。
企業なんて、そんなこといったら、毎週、組織をゼロスタートしなければいけない。
そうでなく、絶対的な信頼感、人間としての信頼感をお互いに保有することだけしか、戦いを行きぬく方法はない。起業も企業も、サッカーチームも、夫婦も、同じだ。
これはサバイバルゲームだ。
組織を動かず、運命を受け入れ、全力で戦うことで、戦友になる。落選しても、盟友であり続ける。
それが次の選挙、次の次の選挙、本当の政治をもたらす。
民主党に残って、かつ、いい戦いをした議員だけが、10年後も政治家であり続けることが出来、ひとかどの人物となった彼らによって、日本は導かれることになるだろう。 

『小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記』より