2015/04/20

堀江貴文「人生の質を上げるために僕がやめた3つのこと」

1・家に住むことをやめた
「刑務所から出てきたらマンションの賃貸契約を拒まれたりして、非常に不愉快な思いをしたので『もう、家なんていらねぇよ』と。保証金を寝かすのもバカバカしいし。以来ずっとホテル暮らしですが、快適ですよ。余計なモノは全部手放したので、本当に身軽」

2・物欲を持つことをやめた
「モノを手放していくと物欲がどんどん薄れた。ないと困るのはスマホくらい。とはいえ、必要なデータ類はクラウドに入れてあるから、最悪、端末も誰かに借りればいい。近年、カーシェアなどが普及し、所有からシェアへと世間の意識が変わってきたのはいい傾向」

3・電話をやめた
「最近、本当に会いたい人にしか会わないよう努めています。準備や移動などに伴う時間的なロスが許せなくて。電話も然り。一方的に僕の時間を奪っていくから、基本的に出ません。時間あたりの効率を極限まで上げないと、やりたいことが全部こなせないので」

Web Goetheより

2015/04/17

日本≒ハンガリー?

 日本ではほとんど知られていないのですが、欧州ではハンガリーがすごく危険視されています。新しく制定された「ハンガリー基本法」が非常に人種差別的で排外的な要素を含んでいる。それでユーロ圏に入れてもらえず、ハンガリーの通貨フォリントの価値が下がって、ブダペストは観光客があふれているのです。どこの国かって思うでしょう(笑い)。
 ハンガリーと日本はものすごく似ています。オーストリア・ハンガリー帝国が成立したのが、明治維新とほぼ同時期。その後も似たような歴史を歩んできて、ハンガリーは第2次大戦で敗戦した後、ソビエトの押し付けで憲法を変えた。そして、ソビエト崩壊で東欧が解放された時に唯一、東欧諸国で憲法を変えなかった。ソビエトが定めた憲法を部分改正して、新しい民主的な憲法にしたんです。ただ、その憲法は非常にいい憲法だったけど「自主憲法」ではなかった。そして数年前、ある民主的な政権ができたけれど、経済政策の失敗とスキャンダルで崩壊してしまって、その後にできた国家主義的な政権が、一気に新憲法をつくっちゃった。それがハンガリー基本法です。欧州の政治家はハンガリーのことが念頭にあるので、安倍政権も同様に非常に危険視しているわけです。

(日刊ゲンダイ 平田オリザ「異議唱えなければファシズム広がる」より)

2015/04/01

私が42年間の中で、最も後悔していること

みなさん卒業おめでとうございます。
ここまでよくがんばりましたね。
さて突然ですが、歳をとってから、私はよく、「人生を振り返ってみて後悔することはなに?」と聞かれるんです。
私は、何を後悔しているだろうか?
お金を貯めてこなかったことだろうか?
これは後悔してない。
スマトラの川で裸で泳いでいて、なんだか騒がしいなと思って見上げたら、パイプの上に300匹ほどの猿がすわって川にむかってうんちをしているのを見てしまったことだろうか?
しかも、私がおもいっきり口をあけて、飲んでしまったから、その後病気になり、7カ月間もずっと具合が悪くなってしまったのだ。
その時のことでもない。
度々あった、恥ずかしい出来事だろうか?
例えばホッケーの試合で、好きな子の前でドジをして、嫌われてしまったことだろうか?
いや、これすらも私は後悔していない。

私が一番後悔していることは、これだ。
7年生だったとき(日本の中学1年生)、1人の転校生が来た。
個人の秘密のためにこのスピーチでは彼女のことをエレンと呼ぶことにしよう。
エレンは小さくてシャイな子だった。
彼女は、当時は年取ったおばあちゃんしか使わなかったような、メガネをかけていた。
緊張すると、自分の髪の毛を噛むクセがあった。
そんな彼女は、周りからいじめられていた。
彼女が傷ついているのが目に見えてわかっていた。
彼女の表情をいまでも思い出すことができる。
彼女はできるだけ透明になろうとしていた。
少しすると彼女は一人でいるようになった。
そして、彼女は、引っ越した。
それでおしまい。
なんの悲劇もドラマもなし。
彼女はある日突然やってきて、それで突然いなくなった。
それで話はおしまいだ。
さて、なぜ私はこれを後悔しているのか?
42年もたった今、なぜ私はまだ彼女のことを考えているのか?
他の子たちと比べて、私は彼女にやさしい方だった。
彼女にひどいことは一切言わなかった。
実際、ときには(温和に)彼女を守ることさえした。
それでも、人生の中で最も後悔しているのだ。

■ 見て見ぬフリをして、親切にしなかったこと

私が人生で最も後悔していることは、親切になれなかったことだ。
少し安易に聞こえるかもしれないし、実行するには難しいかもしれないけど、人にやさしくなるというのを人生のゴールにしてみてはいかがだろうか。
ここで一つ、大事な質問をしたい。
どうして私たちは、優しくないんだろう?
わたしたちの何がいけないのだろう?
私の答えは3つある。
(1) 私たちは宇宙の中心であると思っているから(つまり自分の個人的な話が一番大事でおもしろくて、自分の人生のことしか考えていない)。
(2) 私と私以外のものは、切り離されていて、別のものになってしまっていること。
(3) 私たちは永久に生きると思っている。(死は本物だが、まだ自分には関係ないと思っている)。
私たちは、知らず知らずに人の欲求よりも自分の欲求を満たそうとする。
もっともっとやさしい人になりたいにもかかわらず、そうしてしまうのだ。

■ 歳をとるにつれて、ほとんどが愛に変わった

さあ、ここでもう一つ、大事な質問をしたい。
どうやったらもっとやさしい人になれるのか?
これに対する答えは、やさしさは年をとることで、自然に身につくものだと思っている。
私たちが年をとるにつれて、自分勝手でいることがどれだけ無意味なのか、実際にどれだけ非論理的なのかに気がつくのだ。
自分の身近で大事な人たちがいつのまにか立ち去っていってしまっているのに気がついて、それでいつの日か自分もそうやって立ち去っていくんだろうな、ということを徐々に自覚し始める。
ほとんどの人は年をかさねていくごとに、自分勝手でなくなり、人を愛するようになる。
シラキュース(アメリカ)の偉大な詩人、ヘイデン・クルース(Hayden Carruth)は彼の人生の最後のほうに書いた詩のなかでこう言った。
「人生の最後は、ほとんど愛になった」と。
私が皆さんにしたい心からのお願いです。
年をとるにつれて、あなたの自身の存在は減っていき、愛に生きていくようになるでしょう。
あなたという人が、徐々に愛によって置き換えられていくのだ。
子供をもつことになったら、自分に何が起こるのかなんて気にしなくなるものだ。

■ 成功にこだわらず、たくさんのことに挑戦する

私たちは誰だって、若いときは不安でいっぱい。
成功できるのか?
自分で人生をつくり上げていくことができるのか?
高校でいい成績をとるのは、いい大学に入ろうと思うから。
それでいい大学でいい成績をとれば、いい仕事につけるだろう。
そしたら仕事でいい成果をだして・・・と続いていく。
別にこれは悪いことじゃない。
我々がもっとやさしくなっていくのだったら、その過程にはなにかを実際にやる人として、成し遂げる人として、夢見る人として、自分と真剣に向き合う時間がないといけない。
成功の定義は絶え間なく変わっていきます。
成功というのは、ハイキングをするにつれて、山がもっと大きくなっているようなもの。
自分で考える目標ではなく、成功とは他人からの評価なので、それには限りがないのだ。
そして知らない間に「成功すること」に私たちの人生すべてが食い尽くされてしまう。
成功の定義は絶え間なく変わっていくけれど、人にやさしくしていくことは変わらない。

■ やさしさを見つける、旅に出よう

スピーチの締めとしての、最後のアドバイスをしたい。
私が先ほど述べた通り、あなたの人生は徐々に親切でやさしい人になるのだから、急ぎなさい。
スピードアップするのだ。
いまこの瞬間から始めて欲しい。
私たちは誰でも、最初は自分勝手だ。
少し必死に、自分自身の患者になってみるといい。
これから先の人生を、活力を持ってやさしさをみつける旅に飛び出してほしい。
そのためにはたくさんのことをすること。
野心のあること、旅、金持ちになる、有名になる、革新する、リーダーになる、恋に落ちる、富豪になってそれからどん底に落ちる、ジャングルの川で野生的に裸で泳いでみる(猿のうんちの味を確かめてみないとね)。
さまざまなことに挑戦し、そして失敗してさまざまな人と関わることで、やさしさをスピードアップすることができる。
そしていつの日か、これから80年後とか、あなたは100歳で私は134歳。
で、私たちはもうほとんどお互いに耐えきれないほどどちらもすごくやさしくなったら連絡してくださいね。
あなたが「私の人生はものすごくいいものだったし、いいものだよ」と言ってくれていることを願う。
最高の人生を生きて、みなさんがやさしい人になれることを望みたい。
今日は、ありがとうございました。

<シラキュース大学2013年卒業式での作家ジョージ・サンダースさんスピーチより>